漢方医学は日本独自の医学です。よく中国の中医学と混同されますが、歴史的に見ると4-5世紀頃、中国から伝来した後、日本独自の発達を遂げて現在のような漢方医学が形成されました。「漢方」を表すKampo Medicineは日本の伝統医学を表します。「漢方」という言葉そのものが江戸時代にオランダからヨーロッパ医学が伝来し、今までのわが国の医学をそれと区別するために作られたわが国独自の造語です。 |
慶應義塾大学医学部と漢方は深いつながりがあります。日本東洋医学会が発足して50年以上経ち、現在9000名以上の会員がおりますが、第1回から5回および第7回の学術総会はいずれも慶應義塾大学医学部にて開催されています。また、学術大会の会長は第1回から3回までは龍野一雄(1932年慶應義塾大学医学部卒)が会長を務めていました。 その他、以下のような先生方が慶應における漢方の活動を支援してこられました。 |
阿部勝馬 | 漢第三代医学部長 | 龍野一雄の活動を支持 |
龍野一雄 | 日本東洋医学会初代会長 | |
武見太郎 | 元日本医師会会長 | 漢方の造詣が深く北里研究所東洋医学総合研究所設立に尽力 |
相見三郎 | 第6代日本東洋医学会会長 | |
長谷川弥人 | 元内科学教室教授 | 漢方に関する著書多数 |
細谷英吉 | 元薬理学教室教授 | ツムラ研究所所長 |
(表1)日本東洋医学会学術総会
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1967年7月 初の漢方製剤の薬価基準収載が行われ、4処方に保険適応が認められました。1976年9月 大幅に薬価基準収載となり、41処方が認められました。その後徐々に認可を受け、現在医療用漢方エキス製剤は全部で148処方となっております。これらの薬価基準収載の礎を作ったのは武見太郎元日本医師会長(1950〜1982会長)です。武見太郎は当時の日本で使用される薬剤の7割以上が欧米からの輸入であることを嘆き、わが国独自の医薬品である漢方薬を振興し、将来的に海外に輸出できることを願って薬価基準に載せ、医師の手に漢方薬を戻しました。西洋薬のような手順を踏まなかったことに対し、批判もありますが、2000年以上の歴史を持つ伝統薬と新薬とを一緒くたに論じることは不可能でしょう。ヨーロッパの伝統生薬も使用されてきた実績を重視した独自の基準が設けられています。 |
1991年慶應義塾大学医学部に漢方相談室が設立されました。開設当初は週2回の診療でしたが、1993年、大学病院に漢方医学センター診療部が開設され、毎日午前午後と診療を行うようになりました。 *外来診療表 1993年には基礎研究部門としてツムラ東洋医学寄付講座が開設され、研究・教育を担うようになりました。2005年に漢方医学講座となりました。2008年4月からは慶應義塾大学医学部の正式な組織として漢方医学センターとなりました。 *お知らせ |
漢方医学のアイデンティティー確立と国際的ハーモナイゼーション推進 |
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